鈴木康博がももいろクローバーZと共演!小田和正のあの名曲を熱唱!

2019年3月13日にフジテレビNEXTで生放送された「坂崎幸之助のももいろフォーク村」に元オフコースの鈴木康博(ヤスさん)が出演して、ももいろクローバーZや坂崎幸之助と共演しました。

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『一億の夜を越えて』『でももう花はいらない』『のがすなチャンスを』といった代表曲を演奏したヤスさんですが、この日は坂崎幸之助のリクエストに応えて『水曜日の午後』を歌ったのが大変なレア演奏でした。オフコースのファーストアルバムに収められた小田さんの名曲でメインヴォーカルも小田さんでしたが、オフコースのライヴアルバム『秋ゆく街で』ではヤスさんがメインヴォーカルを取っていることを坂崎幸之助が覚えていて、ヤスさんに質問していました。ヤスさんは「私に対する楽曲提供のつもりだったのでしょう」と応じていました。坂崎幸之助は「当時二人は声がそっくりだった。ユニゾンがめっちゃきれいで」と懐かしんでいました。

孫のような「ももクロ」と共演したヤスさん、とても楽しそうでした。

ヤスさん、いつまでも元気にライヴを続けてください!

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オフコース『群衆の中で』鈴木康博が還暦記念ライヴで歌った幻のデビュー曲

1970年4月5日に発売されたオフコースの幻のデビューシングル『群衆の中で/陽はまた昇る』を紹介します。どちらの曲もヤマハの作曲コンクールに応募してきたアマチュアの作品に作詞家の山上路夫が詞をつけたものです。当時のグループ名は「ジ・オフ・コース」でした。

A面 群衆の中で

デビュー当時のメンバは小田和正・鈴木康博・地主道夫の3人でしたが、地主道夫は翌年の1971年に脱退した為、このメンバでの最初で最後のレコードとなりました。演奏はスタジオミュージシャンで、オフコースは歌っているだけです。いかにも1970年代前半の暗いフォークソングといった曲で、のちに大ヒットを連発して名曲を歴史に残したオフコースには似つかわしくない曲です。オフコースの歴史は『僕の贈りもの』から始まったと思っている人が多いでしょうから、幻のデビューシングルと言えます。

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リードヴォーカルはヤスさん(鈴木)で、初期のオフコースを引っ張っていたのがヤスさんであったことを認識できます。小田さんはコーラスをつけており、「ルルルルルル…」という若い歌声が美しいです。
2008年、ヤスさんは自身の還暦記念ライブで本曲を照れくさそうに歌いました。その模様は『Yasuhiro Suzuki Anniversary Live 1970-2008』に収められています。

B面 陽はまた昇る

A面曲は暗いメロディーの哀しいイメージの曲でしたが、B面曲は明るいメロディーのリズミカルな曲で、私はこちらの曲のほうが好きです。こちらもリードヴォーカルはヤスさんですが、オフコースの美しいハーモニーはデビュー当時から健在で、小田さんのバックコーラスの高音が美しいです。
小田さんは「レコードを売りたいという意識は全く無かった。しばらくオフコースのレコードはチャートに出なかったし、レコードが売れている人達と同じフィールドにいるという意識もなかった」と当時を振り返っています。

デビューシングル『群衆の中で/陽はまた昇る』はオフコースのオリジナルアルバムには収録されていません。オリジナルアルバム未収録曲を集めたベストアルバム『レア』に収録されているので探してみてください!

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オフコース『おさらば』テレビ出演、そして決別

1972年4月25日に発売されたオフコースの3枚目のシングル『おさらば/悲しきあこがれ』を紹介します。

本シングルからグループ名を「ジ・オフ・コース」から「オフ・コース」に変更しています。
当時のメンバは小田和正・鈴木康博・小林和行・吉田浩二の4人です。小林和行は聖光学院出身、小田・鈴木の後輩です。吉田浩二はオフコースのマネージャーでしたが、臨時加入しました。

A面 おさらば

作詞・作曲・編曲:東海林修のコーラス曲です。東海林修は有名な編曲家で、沢田研二『危険なふたり』など多くのポップス作品の編曲を手掛けました。2018年4月30日に85歳で亡くなっています。
東海林修はオフコースを4人のコーラスグループとして売り出そうとしました。吉田浩二を急遽加入させたのはそのためです。東海林修は自身の業界内での力を使い、1972年5月13日にTBSが放送した『第1回東京音楽祭』にオフコースを出場させました(レコードジャケットには「第1回東京音楽祭入選曲」と記載されていました)。結果としてオフコースの入賞は無く、また、このときテレビの裏側のあまりの酷さを目の当たりにしたオフコースは以降、テレビ出演は行なわなくなります。テレビと決別するきっかけとなった出来事でした。

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さて、本曲は4人となったオフコースのハーモニーを楽しめるミディアムテンポの元気な曲です。最初から最後までコーラスで歌われており、馴染み深い2人だけのハーモニーとは印象がかなり違います。ホーンセクションが入った派手なアレンジで、段々と盛り上がって最後に最高潮になる、他のオフコース作品とは一線を画している楽曲です。

B面 悲しきあこがれ

作詞:山上路夫、作曲・編曲:東海林修の楽曲です。山上路夫は有名な作詞家で、赤い鳥『翼をください』、小柳ルミ子『瀬戸の花嫁』、野口五郎『私鉄沿線』などが代表作です。オフコースのデビュー曲『群衆の中で』の作詞も行ないました。
A面曲は全編コーラスでしたが、B面の本曲は出だしが小田さんの「忘れていた街の空 見上げた時 あこがれが」という美しいソロで始まり、ヤスさん(鈴木)の「この心をみたした 鳥のように心は…」というソロに引き継がれます。フォーク調のきれいな曲で、サビの「ララララ…」の小田さんの若い歌声が本当に美しいです。一人一人のソロの歌声を聴けるこちらのB面曲のほうが私は好きです。

このシングル発売の1ヵ月後にオフコースは小田和正・鈴木康博の二人のフォークデュオとして再出発しました。以降、オフコースは自作曲だけをレコーディングする自前主義に徹していきます。

シングル『おさらば/悲しきあこがれ』はオフコースのオリジナルアルバムには収録されていません。オリジナルアルバム未収録曲を集めたベストアルバム『レア』に収録されているので探してみてください!

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オフコース『君におくる歌』鈴木康博が小田和正に贈った歌

1982年2月1日発売のオフコース23枚目のシングル『言葉にできない』のB面曲、『君におくる歌』を紹介します。
オフコースを去ることを心に決めたヤスさん(鈴木康博)が小田さんへ向けて歌った曲で、アルバム『over』にも収録されています。

抑揚があまりない淡々としたメロディーが、そのとき(脱退)に向けて淡々と時が過ぎていく当時の二人の心境を表しているように感じる曲です。コーラスをつけている小田さんの声が本当に切ないです。

 信じられないことは
 僕が君に別れを告げたこと

同じ夢を追いかけてニューミュージック界の頂点にまで昇りつめた二人。しかし、待ち受けていたのはオフコース=小田和正とする商業戦略で、ヤスさんはグループの片隅に追いやられます。後日、ヤスさんは「小田の楽曲に勝るものを書けない自分にジレンマを感じた」と率直に語りました。

 ふりはじめた雨は止まない
 悲しいね こんな別れは

ヤスさんと小田さんは高校から一緒に音楽活動を開始しました。ヤスさんは東工大、小田さんは東北大に進学したため、離ればなれになりましたが、休日にヤスさんが車に乗って仙台まで行って練習を続けました。

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 今 何を言えばいいの
 僕にできることは
 君に この歌おくること

ヤスさんが小田さんに「オフコースを抜けたい」と話したのは1980年の年末、『We are』リリース後のコンサートツアー中でした。小田さんと双璧をなすヤスさんが抜けるのですから「解散」となるのは当然の流れでしたが、オフコースは解散しませんでした。この内幕は、山際淳司『Give up ~ オフコース・ストーリー』に記録されています。

 過ぎゆく日々を 振り返らずに
 新しい夢を胸に 僕は今 旅立つ

小田色が強くなったオフコースの中で、ヤスさんは「イメージに縛られて曲が書けなくなった」と吐露しています。「鈴木康博という別の土俵を作らないと潰れちゃう」と感じたヤスさんはオフコースを旅立ちました。

 君に心から この歌おくる
 君にだけ心から この歌おくる

ヤスさんはオフコース時代を「宝」と表現し、小田さんも「宝物」と同意しました。ヤスさんも小田さんもオフコース時代の曲をコンサートでよく演奏しています。これはファンが喜ぶからというのが大きいでしょうが、自分が一番輝いていた「宝物」の楽曲というのもあるでしょうね。

本曲はヤスさんがオフコース時代の曲をセルフカバーしたアルバム『FORWARD』にも収録されています。聴いたことが無い方は探してみてください。

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【レポート】小田和正コンサート2018/9/7(盛岡)小田さん、逆立ちに成功!

2018年9月7日の小田さんのコンサートに行ってきました!
盛岡タカヤアリーナでのコンサート2日目です。

以下、セットリストのネタバレにもなりますので注意お願いします。

(オープニングビデオ上映)
1. 会いに行く

「めざましテレビ」テーマソングで元気にスタートです。2018年5月2日にリリースされたクワトロA面シングル(4曲入りシングル)の1曲です。
小田さんは「めざましテレビ」で次のように発言しています。

「めざましテレビの今年のテーマが聖火リレーの跡をたどるとか、そういうのを聞いたから『会いに行く』。俺もツアーがあるし、昔はツアーって歌いに行く、演奏しに行くっていう気持ちだったけれど、前回ぐらいから、もちろん歌いには行くんだけど、会いに行く。テーマが重なるし『会いに行く』を書こうと。なんかこうシンプルで、シンプルだけど飽きないみたいな」

 会いに行く どこにでも
 その笑顔に会うために
 その声を聞くために
 想いを伝えるために

2. 愛の中へ

1981年12月1日リリースのオフコース22枚目のシングルです。アルバム『over』の代表曲で、5人のオフコース最後のツアーのオープニング曲でした。
『LOOKING BACK 2』のアレンジでしたが、NHK教育テレビ『若い広場~オフコースの世界』で小田さんとヤスさん(鈴木康博)が高音でコーラスを入れている姿を思い出しました。

 心がことばを越えて
 愛の中へ連れてゆくよ
 あなたがすべてを超えて
 今ぼくの眼の前にいる

3. こころ

2007年8月15日リリースの小田さん25枚目のシングルです。小田さんのコンサートでよく歌われる力強い曲で、広い会場を動き回って歌いました。「世界中で一番」で声が裏返り、胸に手を当てていました。私の近くにいた女性にマイクが向けられ、その女性はしばらく興奮冷めやらぬ様子でした。

 あの夏 世界中でいちばん
 大切な人に会った
 今日までの そして これからの
 人生の中で

(バンドメンバー紹介)
(MC)

「知っている曲があったら、いっしょに歌ってください。隣の人の迷惑にならない程度に(笑)」

4. たしかなこと

2005年5月25日リリースの小田さん23作枚目のシングルです。明治安田生命のCMで有名な曲です。小田さんは次のようにコメントしています。

「それまでCMに使われていたのが『言葉にできない』。あの曲が多くの人に愛されていたからこそ、次の依頼があったわけなので、『言葉にできない』を超える曲を作らなくてはと思いました。難題でした。そこで『言葉にできない』のシンプルな強さとは違うものを目指しました。曲全体でじわじわと心に残っていく、そんな曲を作ってみようと思ったんです」

 君にまだ 言葉にして
 伝えてないことがあるんだ
 それはずっと 出会った日から
 君を愛しているということ

(MC)

「ジムには強制的に行くようにはしているのですが、この10年、もしかしたら20年、逆立ちをしていないな、ということが最近ずっと頭にありました。それで逆立ちをするのは今日この日ではないかと思いました。三点倒立というのがありますが、それは邪道です。今日しかないと思って先ほど楽屋でやってみたら逆立ち出来ました」

70歳での逆立ちはすごいですね。会場は拍手喝采でした。

「何の脈略もなく次の曲に行きますが(笑)、オフコース3枚目のアルバムに『ワインの匂い』というのがありますが、そこから『愛の唄』を」

5. 愛の唄

1975年12月20日リリースのオフコースのアルバム『ワインの匂い』に収録されていた小田さんの初期の名曲です。サビではオフコースのコンサート音源でのヤスさんのコーラスを思い出しました。

 泣きぬれて ただひとり
 さみしい たそがれには
 恋人よ ふりむけば
 やさしい思い出をあげよう

6. 秋の気配

1977年8月5日リリースのオフコース11枚目のシングルです。小田さんの名曲中の名曲ですね。アコースティックギターを弾きながら歌いました。

 あれがあなたの好きな場所
 港が見下ろせる小高い公園
 あなたの声が小さくなる
 ぼくは黙って外を見てる

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7. 小さな風景

2018年5月2日にリリースされたクワトロシングルの1曲です。小田さんは次のようにコメントしています。

「いなくなってしまった人との思い出を懐かしくたどるだけでなく、自分の知らないその人もきっとどこかにいたのだろうと想う気持ちに触れたかった。それが『君の心の中の 小さな風景』になった。小さな風景は幾つもあるんだと思う。この曲は出来るだけ言葉数を少なくと初めから考えていて、短く印象的な歌にしたかった」

 今 君が ここにいたら
 何を思うだろう あの笑顔で
 きっと僕は 君の心の
 小さな風景に 気づかなかったんだ

8. 愛を止めないで

1979年1月20日リリースのオフコース15枚目のシングルです。小田さんはアコースティックギターをエレキギターに持ち替え、いつもの『LOOKING BACK』バージョンで熱唱しました。

 愛を止めないで そこから逃げないで
 すなおに涙も 流せばいいから
 ここへおいで くじけた夢を
 すべてその手に かかえたままで

9. そんなことより幸せになろう

2014年7月2日リリースの小田さん9枚目のオリジナルアルバム『小田日和(おだびより)』のオープニング曲です。本当に前向きになれる私の大好きな曲です。

 そんなことより 楽しく生きよう
 胸張って歌うように楽しく生きよう
 気持ち次第で 何とかなるから
 心配しないで あとは明日に任せて

10. 東京の空

2011年4月20日リリースの小田さん8枚目のオリジナルアルバム『どーも』のエンディングを飾る曲です。小田さんは会場中央のグランドピアノに座っての演奏です。2012年のツアーで本曲のオルゴールを購入した私の思い出の曲です。

 がんばっても がんばっても
 うまくいかない
 でも気づかないところで
 誰かがきっと見てる

11. 言葉にできない

1981年12月1日リリースのアルバム『over』収録曲で、1982年2月1日にオフコース23枚目のシングルとしてもリリースされた、言わずと知れた名曲です。
当時、オフコースを去ってゆく決断をしたヤスさんへ向けた歌です。

 あなたに会えて
 ほんとうによかった
 嬉しくて嬉しくて
 言葉にできない

12. good times & bad times

1990年5月9日リリースの小田さん3枚目のオリジナルアルバム『Far East Cafe』収録曲で、当時、ネスカフェゴールドブレンドのCMで使用され、小田さん自身がCM出演しています。

コンサートでは曲の途中から大スクリーンに歌詞が表示され、あらためて本当にいい曲だなと思いました。

 この国に生まれて この時代に生きて
 この街で出会って そして恋に落ちて
 傷つけ合って 言葉も枯れて
 それでも二人は 許し合って

13. Yes-No

1980年6月21日リリースのオフコース19枚目のシングルで、大ヒットしたオフコースの代表曲です。大盛り上がりの会場に小田さんは割って入って進み、たくさんの人にマイクを向けました。私の座席の近くにも小田さんが来て、マイクを向けられた人は皆、大声で歌っていました。

 ああ 時は音をたてずに
 ふたりつつんで流れてゆく
 ああ そうだね すこし寒いね
 今日はありがとう 明日会えるね

ここで前半終了です。

(御当地紀行 上映)

いつも通り楽しい「御当地紀行」でしたが、一番笑ったのは小岩井農場での水上ハムスターへのチャレンジでした。

写真のように球体の中に入り水上を走るようにして遊ぶ遊具です。全力疾走してもなかなか前に進めずに、その姿はハムスターのようになるはずでしたが、小田さんと東北プロモーターのギルドネクスト佐藤社長(愛称:さちゅう)は球体の中に入ったものの、立つことができず、あえなく撤退となりました。

14. 坂道を上って

後半は小田さんもバンドのいるメインステージに立って始まりました。
2018年5月2日にリリースされたクワトロシングルの1曲です。『風と君を待つだけ』の「ひとりにならないで」のフレーズがエレキギターで奏でられて始まる曲で、歌詞に5人のオフコース時代が重なります。

 あの坂道を 上る そのたびに
 僕らはみんな 大人になって行った
 きらめいていた
 誰もがみんな

15. time can wait

1990年5月9日リリースの小田さん3枚目のオリジナルアルバム『Far East Cafe』収録曲です。ロックのサウンドに『東京の空』に通じるメッセージが込められています。

 たとえ夢を追いかけて
 立ち尽くしても
 一人には ならないさ
 誰かが見てる

16. ラブ・ストーリーは突然に

1991年2月6日リリース、大ヒットした小田さんの代表曲です。小田さんは観客の中に割って入り、会場のあちらこちらへ出没してマイクを向けていました。

 君のために つばさになる
 君を守りつづける
 やわらかく 君をつつむ
 あの風になる

17. キラキラ

2002年2月27日リリースの小田さん21枚目のシングルです。この曲でも小田さんは広い会場を動き回りました。

 遠くに見える その夢を
 まだ あきらめないで
 かならず そこまで
 連れて行くから

18. YES-YES-YES

1982年6月10日リリースのオフコース24枚目のシングルです。この曲で会場は最高潮になりました。会場全体で「YES-YES-YES」のフレーズにあわせて人差し指を突き上げて盛り上がりました。

 君の嫌いな東京も
 秋はすてきな街
 でも大切なことは
 ふたりでいること

19. さよならは言わない

2009年2月25日リリースの小田さん27枚目のシングルです。会場中央のグランドピアノでの弾き語りに、ストリングスが重なります。
引退について問われた小田さんは次のように語っています。

「僕は『さよならは言わない』という曲を書きました。さよならは言わないんだと。そういう気持ちですね。でもきっと、さよならは言わない。決してさよならは言わないという気持ちで。あとは察していただいて」

 晴れわたった こんな日は
 いつでも 思い出す
 飛ぶように 駆けぬけた
 遠い日の 僕らのことを

20. 生まれ来る子供たちのために

1979年10月20日リリースのオフコースのアルバム『Three and Two』収録曲で、1980年3月5日にオフコース18枚目のシングルとしてもリリースされました。コンサートでは大スクリーンに星が散りばめられた美しい小田さんの姿が映されました。

 あの人が そのたびに
 許してきたように
 僕はこの国の明日をまた想う
 ひろい空よ僕らは今どこにいる

21. 風と君を待つだけ

1992年1月25日リリースの小田さん4枚目のオリジナルアルバム『sometime somewhere』収録曲です。震災以降、オリジナル歌詞の「風に吹かれて 波に飲まれて」は津波を連想させるため、「風に吹かれて 雨に打たれて」に替えられました。一部ファンの間で本曲はヤスさんへのメッセージと捉えられています。

 僕らは信じている
 君が手を高く上げて
 肩を並べて いつかまた
 走り始めることを

22. 今日もどこかで

2008年11月5日リリースの小田さん26枚目のシングルです。会場全体で大合唱となりました。

 誰かがいつも君を見ている
 今日もどこかで君のこと想ってる
 巡り会って そして愛し合って
 許し合って僕らはつながってゆくんだ

23. この道を

2018年5月2日にリリースされたクワトロシングルの1曲です。歌い出しの歌詞に音楽の道を進むか心が揺れていた若い頃の小田さんの姿が重なります。

 それでも けんめいに
 生きていくと そう決めた
 繰り返す迷いも 争いも 悲しみも
 すべてを時に任せて選んだ道を行く

24. 君住む街へ

1988年1月25日リリースのオフコース34枚目のシングルで、オフコース最後のアルバム『Still a long way to go』のオープニング曲でもあります。『君住む街へ』は前回ツアーのタイトルでもあり、アンコール前のエンディング曲として歌われるのは前回ツアーと同じです。エンディング曲とオープニング曲をつなげると「君住む街へ 会いに行く」で、小田さんがオフコース時代から一番大切にしていることになります。

 君の弱さを恥じないで
 みんな何度も つまづいている
 今の君も あの頃に負けないくらい
 僕は好きだから

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アンコール【1回目】

25. NEXTのテーマ~僕らがいた~

1982年9月21日リリースのオフコースのアルバム『NEXT』収録曲で、オフコースを去り行くヤスさんへ向けられた曲です。小田さんとギターの稲葉政裕の二人によるアコースティックギターで前奏が始まり、稲葉政裕は曲の途中でエレキギターに持ち替えて演奏していまいた。

 新しい時の流れの中で
 いつかまた会える時がくるね
 その時また ここから
 歩き出せばいいから

26. またたく星に願いを

1993年10月27日リリースの小田さん5枚目のオリジナルアルバム『MY HOME TOWN』収録曲です。会場全体で両手を上に挙げて左右に振って盛り上がりました。

 この夢は 捨てない
 いつまでも 追いかけてゆく
 この愛は はなさない
 そのために 生きてゆきたい

27. hello hello

2011年4月20日リリースの小田さん8枚目のオリジナルアルバム『どーも』収録曲です。小田さんの歌声から強さと優しさをもらいました。

 強く生きて やさしく生きて
 自信をなくしてくじけそうになっても
 君のほんとに大事なものを
 見つけるまで

アンコール【2回目】

(MC)

「さっき楽屋で『70歳なんだよな』と言ったら、スタッフから『何言ってるんですか、あと10日で71歳ですよ』って(笑)」

28. さよなら

1979年12月1日リリースのオフコース17枚目のシングルで、オフコースをメジャーにした大ヒット曲です。小田さんはピアノに座り、オリジナルに近いバンドのアレンジで演奏してくれました。

 外は今日も雨
 やがて雪になって
 僕らの心のなかに
 降り積るだろう

29. やさしい夜

2014年7月2日リリースの小田さん9枚目のオリジナルアルバム『小田日和(おだびより)』のエンディング曲です。前回のツアーでもアンコールで歌われました。

 祈るような想いは ただひとつ
 君の心 安らかに
 君の願いが 明日
 かなうように

30. また会える日まで

バンドメンバー全員によるアカペラ合唱の小作品です。オフコースの『いつもいつも』のような曲です。

 また会えるまで
 また会える日まで

いつものようにコンサートでしか聴けないアカペラ合唱で締めくくられました。が、ここは盛岡。もう1曲、盛岡スペシャルが用意されていました。

31. ダイジョウブ

2007年4月25日リリースの小田さん24枚目のシングルです。比嘉愛未が主演し、盛岡が舞台となったNHK連続テレビ小説『どんど晴れ』の主題歌です。盛岡の歌を会場全体で歌い上げました。

 明日へつながる あの広い空へ
 高く高く心 解き放つんだ
 忘れないで 君の その笑顔は
 いつだってみんなを幸せにしている

(エンディングビデオ上映)

小田さん、ありがとう!!

小田和正、めざましテレビで自身の引き際を語る。『さよならは言わない』

2018年8月15日にフジテレビ系『めざましテレビ』に小田さんがビデオ出演してインタビューに答えたので紹介します。

―『会いに行く』(2018年 めざましテレビテーマソング)を我々は毎朝聴いて、皆さんにお届けしながら番組を放送しているのですが、どんな思いで作られたのでしょうか?
「『今日も どこかで』(2008年 めざましテレビテーマソング)は自分としては相当頑張って作って。せっかくだから、そこと重なったらお互いによくないだろうなと。たまたまそのとき、めざましテレビの今年のテーマが聖火リレーの跡をたどるとか、そういうのを聞いたから『会いに行く』。俺もツアーがあるし、昔はツアーって歌いに行く、演奏しに行くっていう気持ちだったけれど、前回ぐらいから、もちろん歌いには行くんだけど、会いに行く。テーマが重なるし『会いに行く』を書こうと。なんかこうシンプルで、シンプルだけど飽きないみたいな」

―どれくらい時間はかかったんですか?
「かかりますね、僕はね。ただ『会いに行く~♪』というところを頼りに頑張りましたね」

―歌詞の中に『たそがれ』という言葉が出てきますけど…
「朝の番組の曲なのに『たそがれ』だなという解釈はなかったんでね、一日が始まっていくという番組だから。いずれみんな『今日はお疲れさまでした』って帰ってくる時に夕方になっているんだから、朝が来れば元気になる。でも雨の日も書きたかったわけで、2番で雨が降って、雨が降ったらどこかでやみたいなっていう…。午前中のうちにやめばいいんだろうけど夕方にやむのもいいかなと。めざましが一日見守っているみたいな感じ、いいじゃないですか」

―『会いに行く』のシングルジャケットが階段を上る男性の後ろ姿ですが?
「男性というか私ですけどね。あれは(コンサートの中間部で上映する)御当地紀行の1つのカットをそのまま使いました」

―だからマイクがついている?
「あぁ そうそうそう」

―ジャケットのために撮った写真じゃない?
「じゃないですね。レコード会社の人とかね『これジャケットかよ』みたいな、おそらく。あの写真には自分の中でいろいろなストーリーがあるからね。会いに行って、御当地紀行をやって、お客さんも待っていて、会いに行っているわけだからね」

―素敵ないい写真ですよねぇ
「無理やり言ってない?」

―御当地紀行もいろんな所で小田さんはやっぱり写真撮りますよね? 御当地紀行でもいいし特に記憶にある記念写真は?
「もうだいぶ前ですけどね、小澤征爾さんがとても好きだったから、いつか何かで会えないかなって思っていたら、ある時ラーメン屋から出てきたら、ふっとすれ違って。その隣にあるラーメン屋に小澤征爾さんが入っていったから出てくるのを待っていて、思いきって『すみません。ファンなんですけど一緒に写真を撮っていただけませんか』と。待っている間は緊張していましたね」

―ずっとそのラーメン屋さんの前に立っていたんですか?
「そうそう。駐車場みたいなところがあって、そこで立って待っていた」

―どんな感じで写真を?
「普通にこうやって…(真っすぐになる)。そうしたら街行く人がそれを撮っていたね」

―(コンサートで)誰にどういう瞬間、どのくらいの長さでマイクを向けて歌わせてみようという?
「一生懸命歌っている人。この人、一生懸命歌っているな、歌いたいかなと。あと積極的に呼ぶ人がいるんですよ」

―そういう人にはマイク向けるんですか?
「向けますね」

―そんなこと言ったら、みんなやりますよ
「なかなかいないですよ、そういう人は」

―(コンサートで小田さんにマイクを向けられた軽部アナ)小田さんにマイクを向けていただいて、うれしかった
「うれしかったってねぇ、自己主張の強い人だねぇ」

―(軽部アナ)初めて小田さんにお話を伺ったのは13年前で、その時小田さんは57歳でいらっしゃいました。今でもよく覚えているのは…

 (2005年のインタビュー映像に変わる)

―昔のナンバーを半音・全音下げて歌うということは、なされないわけですよね?
「今のところね」

―それをしてはいけないというか、したくないというか?
「した時はやっぱり考えなきゃいけない時だと思うんだよね」

 (2005年のインタビュー映像終了)

―その気持ちは今も変わらないのでしょうか?
「その気持ちは強く思っていますね。周りからは別にキー下げて歌ってもいいんじゃないのって言ってくれたりしますけど。潮時というかね、そういうのもあるんじゃないかな。まだ声が出るからね、たまたま」

―小田さんがマイクを置く時っていうのは…?
「それは引退のことを言っているんだと思うけども、僕は『さよならは言わない』という曲を書きました。さよならは言わないんだと。そういう気持ちですね。でもきっと、さよならは言わない。決してさよならは言わないという気持ちで。あとは察していただいて」

―70歳になられてのライヴ、今回も花道ができているわけじゃないですか。走るわけですよね?また
「走るとみんな『あっ』てどこか持っていかれるところがある。全力で走りたいなと思ったりもするけど、やっぱり中には『走るよりもちゃんと歌ってください』とか『ちゃんと歌が聴きたい』とか、そういうのもありますからね。それはあるけれど、走っているところも見せたいなっていう気持ちも」

2018年のツアーも後半に突入しました。小田さんには元気にいつまでも歌い続けて欲しいです。

小田和正『1985/哀しみを、そのまゝ』39歳でファーストソロシングル

1986年11月1日に発売された小田和正のファーストシングル『1985/哀しみを、そのまゝ』を紹介します。

オフコースの活動を休止してソロ活動に専念していた1986年に小田さんが発表したシングルで、ソロ名義のレコードは39歳にして初めてでした。両曲ともアルバム『K.ODA』にも収録されています。

A面 1985

「いちきゅうはちご」と読みます。発売前年である1985年に小田さんに何があったのかファンは気になるところですが、深い意味は無いと答えています。但し1985年に小田さんはユーミンこと松任谷由実とチューリップの財津和夫との3人で『今だから』という曲を発表し大ヒットさせました。小田さんがオフコースの枠を超えて活躍を開始した年でした。

本曲は非常に重々しいロックナンバーで、これほど重々しいサウンドはオフコースの楽曲には見当たりません。レコーディングはアメリカで、現地の有名ミュージシャンが参加して行なわれており、まさに洋楽サウンドです。
小田さんはアメリカでのレコーディングを振り返って次のように発言しています。

「衝撃だった。音楽って、こうやって作るのかって思ったよ。アメリカは凄いなって、ずっと日本から見てきた。そしてこの時、実際に当時のアメリカを支えるミュージシャン達が俺の曲を演奏しているのを見て、生でいきなりこんなことまでやれるんだ、本当に凄かったんだって、改めて思ったんだ」

B面 哀しみを、そのまゝ

多重録音のコーラスに乗せて小田さんが全編アカペラで歌う美しいバラード曲です。2分未満の短い作品ですが、本当に美しい曲で、小田ファンの間で名曲と大変評価が高い曲です。
この当時、小田さんは「悲しみ」を「哀しみ」と書くことが多かったです。このことについて小田さんは「『哀しいくらい』(over収録曲)を作った当時は「哀」という字に入れ込んでいた。感覚的に「悲」という字には違和感があった」と発言しています。
本曲は1987年に行なわれたオフコースのコンサートツアー『as close as possible』で演奏されています。コンサートでもアカペラ形式で再現され、清水仁・松尾一彦・大間仁世(ジロー)がコーラスを行ないました。

現在の小田さんのスポンサーは明治安田生命ですが、本曲発売当時は第一生命で、本曲は第一生命「パスポート21」のCMソングに起用されています。CMには「野球編」と「ラグビー編」の2つがありましたが、「野球編」の演出は小田さん自身が務めています。また「ラグビー編」のほうは、なんと巨匠の市川崑監督が演出しています。
本曲は2016年4月に発売された3枚組オールタイム・ベストアルバム『あの日 あの時』にも収録されています。小田さんの名曲である本曲を聴いたことが無い方はぜひ聴いてみてください!

小田和正『切ない愛のうたをきかせて』鈴木康博へのメッセージ

1986年12月3日にリリースされた小田和正のファーストソロアルバム『K.ODA』の第1曲目に収められている『切ない愛のうたをきかせて』を紹介します。

オフコースの活動を休止してソロ活動に専念していた1986年、小田さんがアメリカに滞在していたときにレコーディングされた曲です。小田さんの歌声で静かに始まる曲ですが、曲の後半はポップなアレンジに変わります。

アルバムには小田さんの手書きの歌詞カードが挿入されていましたが、本曲については「制作中。今日も、ロスはよく晴れています。’86.10.17(FRi)」とだけ書かれており、唯一この曲だけ歌詞が掲載されていません。『K.ODA』のセッションで最後にレコーディングされた曲で、歌詞カードの制作に歌詞を間に合わせることが出来なかったという、ぎりぎりまで苦しんだ曲です。それもそのはずで「切ない愛のうたをきかせて」と歌っている対象は、学生時代から4年前(1982年)まで音楽活動を共にしてきた鈴木康博だからです。別れてしまった相方に対するメッセージをいざ書こうとしても筆がなかなか進まなかったのでしょう。オフコースのアルバム『over』『I LOVE YOU』『NEXT』で二人は別れの言葉と相手への想いをぶつけ合いました。本曲はその流れにある小田作品と捉えることができます。

歌詞を追っていきます。

「切ない愛のうたをきかせて
 いつまでも 心のままに…」

ヤスさん(鈴木康博)はオフコースがブレイクした1980年~1981年頃のことを次のように振り返っています。

「『さよなら』が売れた後、小田色がすごく強くなった。僕と小田と松尾とでコンペ(競争)みたいに次のシングルはどの曲にしようかと曲を出し合って決めていくのだけど、だんだん曲を書くときに、(オフコースの)イメージに縛られて曲が書けなくなっちゃったんです」

「心ない人に 傷つけられて
 疲れ果てた君は 心を閉じた
 あれから いくつもの 季節が流れた
 君は歌わない…」

売れない頃のオフコースは自由で、小田・鈴木の関係も完全に1対1でした。『さよなら』のヒット後、レコード会社はオフコースの顔を小田和正にする戦略を立て、ヤスさんのグループでの立ち位置は相対的に低くなっていきます。そしてヤスさんは曲が書けなくなるほど精神的に追い込まれます。小田さんの歌詞の「心ない人」はレコード会社関係の人々を指しているように思います。

「人は誰でも 捨てきれぬ愛と
 尽きることのない 悩みの中を
 明日を見つめながら 歩いていること
 君は歌った…」

ヤスさんは男女の愛や自らの悩みを時にユーモアのある視点で歌いました。ヤスさんの歌詞には潔さと前向きな気持ちを感じるものが多いです。

「すべてが時代に 流されていても
 同じ道を 走り続けた君は
 ただそこにいるだけで ひとり輝いていた
 僕等は見てた…」

小田さんと同じ道を走り続けたヤスさん。オフコースのステージでは小田さんとは違う輝きがありました。

「君は君のまま 生きてゆけばいい
 信じることを 忘れないで
 切ない愛のうたをきかせて
 あの頃の 君のように…」

小田さんからヤスさんへのストレートなメッセージに心が熱くなります。
あれから30年以上の月日が流れましたが、二人とも70代になっても歌い続けているのは本当に素晴らしいですね。

アルバム『K.ODA』は小田ファンの間では名盤と認識されている、おすすめアルバムです。ぜひ聴いてみてください!

小田和正『この道を/会いに行く/坂道を上って/小さな風景』これはミニアルバム!

2018年5月2日にリリースされた小田和正のシングル『この道を/会いに行く/坂道を上って/小さな風景』を紹介します。

2018年5月14日付のオリコン週間シングルランキングで初登場4位にランクインし、トップ5入りの最年長記録を樹立しています。
小田さん自身初めてのクワトロA面シングル(4曲入りシングル)で、4曲すべてがタイアップ曲というのも初めてです。全体で16分弱ではありますが、どの曲も素晴らしく、聴き終えた印象は小田さんらしさが詰まった「ミニアルバム」です。70代に入った小田さんですが、本当に充実した楽曲を聴かせてくれています。4曲とも歌詞に「道」が出てきており、小田さんが歩んできた長い道のりを自然と回顧してしまいます。

1. この道を

TBS系列日曜劇場『ブラックペアン』主題歌です。小田さんは次のコメントを寄せています。

「依頼を受けた段階で音楽的にはこういう風にしようと決めていましたが、制作されているみなさんの番組に対する強い想いを伝えられていたので、曲が出来た時点でこれにどんな言葉を載せるべきかと随分迷いました。でも、いただいた資料を何度も読み返すうちに、番組に携わる人たちが主題曲に求めているものと自分が歌いたいことはきっと同じ線上にあると確信して『この道を』が出来ました。ドラマが書かせてくれた曲です。皆さんはどんな風に聴いてくれるのでしょう」

ピアノの伴奏に乗せて小田さんが淡々と歌っています。途中からストリングス、そして、松たか子、 JUJU、光田健一による美しいコーラスが重なります。
歌い出しの歌詞に音楽の道を進むか心が揺れていた若い頃の小田さんの姿が重なります。
「それでも 懸命に 生きていくと そう決めた」

2. 会いに行く

フジテレビ系『めざましテレビ』テーマソングで、2018年4月2日からオンエア開始されました。小田さんが『めざましテレビ』のテーマソングを担当するのは、2008年制作の『今日も どこかで』以来10年ぶり2回目になります。小田さんは次のコメントを寄せています。

「再び目覚ましの曲を書かせていただきました。あれからもう10年になるのですね。初めスタッフ皆がきっと期待して待ってるから喜んでくれる歌を書かなきゃと勝手にプレッシャーを感じたりしていました。そして様々な企画で全国の視聴者とつながるんだという番組制作者たちの想いと、ツアーで全国の待っている人たちのところへ行くんだという僕の想いを重ねて『会いに行く』という曲を書きました。目覚ましを見てくれるみんながさわやかな朝を迎えてくれたら嬉しいです」

テンポのよい明るい曲です。コーラスは前曲と同じく、松たか子、 JUJU、光田健一です。
繰り返されるフレーズに、コンサートツアーで会場を駆け巡っている小田さんの姿が重なります。
「会いに行く どこにでも その笑顔に会うために その声を聞くために 想いを伝えるために」

3. 坂道を上って

東宝系映画『坂道のアポロン』の主題歌です。小田さんは本曲の制作に際して次のように語ったそうです。

「テンポ感も含めてポジティブな曲を作りたい」
「バラードでしっとり終わる主題歌も映画的だけど、この映画は若者たちの物語だから、明るく終わりたい」

『坂道のアポロン』の監督を務めた三木孝浩はオフコースファンであった母の影響を受け、自らも小田和正の大ファンです。完成した本曲を聴いた三木監督は「歌の出だしでもう泣いていたぐらいの感動でしたね!」と興奮していました。

前奏でいきなりエレキギターで『風と君を待つだけ』の「ひとりにならないで」のメロディーが奏でられ、これだけで感涙です。ロック色の強いアレンジで、憂いのあるメロディーです。
歌い出しと曲の最後の歌詞に5人のオフコースが重なります。
「きらめいていた 誰もがみんな」

4. 小さな風景

テレビ朝日系列木曜ミステリー『遺留捜査(第4シリーズ)』の主題歌です。小田さんは次のコメントを寄せています。

「いなくなってしまった人との思い出を懐かしくたどるだけでなく、自分の知らないその人もきっとどこかにいたのだろうと想う気持ちに触れたかった。それが『君の心の中の 小さな風景』になった。小さな風景は幾つもあるんだと思う。この曲は出来るだけ言葉数を少なくと初めから考えていて、短く印象的な歌にしたかった」

小田さんの優しい曲です。コーラスは松たか子が単独参加しています。
本ミニアルバムのテーマとも言うべき「道」に、オフコースファンはアルバム『この道をゆけば』、そして、鈴木康博のことを思い起こしてしまいます。
「何度も二人で 歩いた道なのに」
「今 君がここにいたら 何を思うだろう あの笑顔で」

『坂道のアポロン』の監督を務めた三木孝浩は、主題歌を決めるにあたり、幅広くどの世代にも伝わるようなアーティストを考えたとき、真っ先に挙がったのが小田和正だったそうです。小田さんの楽曲は映画・TV番組・CMに幅広く使われていますが、どの世代にも認知されているのが、その理由なのでしょうね。
小田さんがこれまで制作してきたテレビドラマの主題歌をまとめてみます。

1. 『ラブ・ストーリーは突然に』1991年 フジテレビ系『東京ラブストーリー』鈴木保奈美/織田裕二
2. 『真夏の恋』1994年 日本テレビ系『遠山金志郎美容室』西田敏行
3. 『伝えたいことがあるんだ』1997年 TBS系『最後の恋』中居正広/常盤貴子
4. 『君たちを忘れない』1998年 NHK『必要のない人』森光子
5. 『キラキラ』2002年 フジテレビ系『恋ノチカラ』深津絵里/堤真一
6. 『まっ白』2004年 TBS系『それは、突然、嵐のように…』江角マキコ/山下智久
7. 『ダイジョウブ』2007年 NHK『どんど晴れ』比嘉愛未/内田朝陽
8. 『こころ』2007年 フジテレビ系『ファースト・キス』井上真央/伊藤英明
9. 『さよならは 言わない』2009年 フジテレビ系『トライアングル』江口洋介/稲垣吾郎
10.『グッバイ』2010年 TBS系『獣医ドリトル』小栗旬/井上真央
11.『東京の空』2011年 フジテレビ系『それでも、生きてゆく』瑛太/満島ひかり
12.『その日が来るまで』2013年 テレビ朝日系『遺留捜査(第3シリーズ)』上川隆也
13.『二人』2014年 NHK『吉原裏同心』小出恵介
14.『小さな風景』2017年 テレビ朝日系『遺留捜査(第4シリーズ)』上川隆也
15.『この道を』2018年 TBS系『ブラックペアン』二宮和也

月9から時代劇まで幅広いですね。小田さんにはいつまでも歌い続けて欲しいです。

オフコース『眠れぬ夜』小田和正が代表曲を40年後に再レコーディング

1975年12月20日に発売されたオフコース7枚目のシングル『眠れぬ夜/昨日への手紙』を紹介します。両曲とも同日に発売されたアルバム『ワインの匂い』にも収録されていました。どちらのジャケット写真も新宿御苑で撮影されたものです。

A面 眠れぬ夜

作詞・作曲:小田和正です。
それ以前のオフコースには無かったアップテンポの曲で、最高順位が48位と当時のオフコースとしては売れた曲です。
小田さんは本曲を作ったときのエピソードを次のように披露しています。

「この曲で覚えているのは、歌詞が難航して難航して、いよいよ明日が歌入れって時、事務所に泊まり込んだらギリギリで書けたこと。でもあれだけ難航したのに、書ける時は1時間くらいで書けちゃうんだな」

小田さんが最初に作った時はスローなバラード調のアレンジで、ヤスさん(鈴木康博)は透明な雰囲気であったと話しています。そのアレンジを変更させたのは、当時オフコースのプロデューサーに就任したばかりの武藤敏史でした。武藤はその経緯を次のように振り返っています。

「それまでのアルバム『僕の贈りもの』と『この道をゆけば』に足りなかったものは何か。それはオフコースの場合、無条件に理屈抜きに誰もが楽しめるような曲や、シンプルな曲が少なすぎたのではないだろうかと僕は判断したわけである。そして『眠れぬ夜』をあのような曲調にしてしまったのだが、作者の小田君にとっては当時それがかなり不満だったらしい。だからどちらかというと僕が強引に自分の意見を押し通してしまったといえるかもしれないが、もちろん彼らも最終的には納得してくれて、その後、オフコースのステージになくてはならない曲の一つとして歌い続けられていることは、皆さんご存知の通りである」

このような経緯で作られた明るくポップな『眠れぬ夜』ですが、小田さんは当時は複雑な心境であったことを次のように発言しています。

「反響が良かったけど、自分としては“ちょっと無理したな”って、そう思ったよ。自分が演じてるような、自分じゃないところのものをやると反響あるんだなって。俺、歌っていても“全然これ、自分じゃない”って思った。でも、『ワインの匂い』の一番の代表曲になっているのがこの曲で、レコード会社は『眠れぬ夜』ってアルバムタイトルにしたがった。俺はそんなわけで、“自分の持ち味じゃない”って気がしたから、“それはちょっと…”って。そういう意味でのレコード会社との軋轢は、いっぱいあったよ。例えば、こうして『眠れぬ夜』が評判になったなら、同じようなところを追っ掛ければ、必ずこの業界、柳の下にどじょうがもう一匹いるんだよ。同じような曲を続けて出すと、同じくらいは売れないけど、6割くらいは売れるんだ。それが分かっているからレコード会社はその線で行きたがる。しかし、アーティストとしてはヒットが出て注目されているからこそ、出してみたい曲がある」

オフコースは『さよなら』の大ヒットの後に『生まれ来る子供たちのために』をシングルリリースして、小田さんのこの言葉を実践しました。

小田さんは『眠れぬ夜』をソロになってからのセルフカバーアルバム『LOOKING BACK』『LOOKING BACK 2』に収録していませんでしたが、2016年4月に発売した3枚組オールタイム・ベストアルバム『あの日 あの時』で遂に『眠れぬ夜』を新規にレコーディングしています。

1975年のオフコースでのリリースから、なんと40年以上の歳月が流れているわけですが、この新録音について小田さんは次のように話しています。

「代表曲と言われるものは入れるべきだと思いつつ、この曲は“LOOKING BACK”もしてなかったので、新たにやってみたんだ。実は何度もやり直して、でもなかなか上手く行かなくて、途中で女性のコ-ラス(松たか子とJUJU)を入れてみたら、そこから上手く行き始めたんだ。もちろんオフコ-スの頃のものには、女性の声は入っていないわけでね」

松たか子とJUJUは『クリスマスの約束』でもお馴染みの小田ファミリーですね。アレンジはアコースティックギターとストリングスとコーラスのシンプルなもので、小田さんは次のように語っています。

「これ、ドラムとベ-スがいない演奏なんだけど、そんな編成だから逆に“当たり前に安定したもの”にはならず、そこが面白かったな」

『眠れぬ夜』は1980年には西城秀樹がカバーしてヒットしました(最高順位は10位)。アイドルであった西城秀樹のカバーにオフコース自身は肯定的であったのですが、一部のファンには不評でした。しかし、本曲とオフコースの知名度アップに一役買ったのは事実です。当時、小田さんは「出来上がったものを聴いたら、僕に遠慮してか、えらく地味になってました」とコメントしています。

B面 昨日への手紙

作詞・作曲:鈴木康博です。
ヤスさんのやさしいフォークソングです。ヤスさんは本曲を作ったときのことを「だいたいメロディーが出来上がるまでに1日以上はかかるのだが、この曲は1時間あまりで出来た曲」と振り返っています。
しかし、歌詞を作るのに苦労したため、ヤスさんはデビュー曲『群衆の中で』の作詞家、山上路夫に作詞を依頼しました。ところが、出来上がってきた詞は「売れないミュージシャンが、かつての恋人に向かって相変わらず売れていない現状をさびしく語る」というあまりにも“みじめ”な内容だったので、結局はヤスさんが自ら歌詞を書き上げたというエピソードがあります。オフコースが売れていない頃だったので、山上路夫の詞は受け入れられなかったのでしょうね。

ヤスさんはソロになってからも本曲を歌い続けており、1996年発売のセルフカバーアルバム『BeSide』、2008年発売のライブアルバム『Yasuhiro Suzuki Anniversary Live 1970-2008』にも収録されています。

小田さんの『眠れぬ夜』が収録された『あの日 あの時』と、ヤスさんの『昨日への手紙』が収録された『BeSide』はどちらもおすすめのアルバムです。ぜひ聴いてみてください!