ジョン・レノン『ロックンロール』ビートルズの原点が詰まったカバーアルバム

1975年2月に発売されたジョン・レノンのアルバム『ロックンロール』を紹介します。原題は、John LennonRock’n’Roll』。
ジョンが10代の多感な時期に出会った1950年代のロックンロールを気持ち良く歌っているアルバムです。ジャケットは1961年のメジャーデビュー前のビートルズで、若き日のジョンの前を横切る影はポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、スチュアート・サトクリフです。

アルバム制作期はジョンが人生のスランプに陥った時期で、ヨーコと別居し、酒とドラッグに溺れていました。1973年10月にフィル・スペクターをプロデューサーに招いてレコーディングを開始するも、精神的に病んでいたフィル・スペクターがマスターテープを持ち逃げするという事態に見舞われます。その後マスターテープは取り戻したものの使える曲が4曲しかなかったため、ジョンは1974年10月にフィル・スペクター抜きで再レコーディングを行ない1年掛かりで本アルバムを完成させました。

スポンサーリンク

それではアルバムを紹介していきましょう。(オリジナルがレコード盤なので、A面・B面で紹介します。)

A-1 ビー・バップ・ア・ルーラ

ジーン・ヴィンセント&ヒズ・ブルー・キャップスが1956年に発表した曲です。広く知られた、ロカビリーの代表曲です。本曲はポール・マッカートニーが初めて買ったレコードとしても有名で、まさにビートルズの原点となった曲です。ポールもライヴアルバム『公式海賊盤 Unplugged (The Official Bootleg)』でトップに収録しており、ジョンもポールもアルバム1曲目に選んだ、思い入れたっぷりの曲です。

A-2 スタンド・バイ・ミー

ベン・E・キングが1961年に放ったヒット曲で、1986年に同名小説の映画主題歌に使用されたことでオリジナルも日本で大ヒットとなりました。ジョンのアレンジも素晴らしく、シングルリリースしています。ジョンはリバプール時代に本曲を歌い込んでおり、完全に自分のものにしています。ジョンのオリジナル曲と勘違いしている人も多いのではないでしょうか。

A-3 メドレー:リップ・イット・アップ/レディ・テディ

リトル・リチャードが1956年に発表したシングルのA面・B面をメドレーで歌っています。リトル・リチャードはジョンのアイドルで、このシングル盤を擦り切れるほど繰り返し聴いたであろうジョンの姿が目に浮かびます。

A-4 ユー・キャント・キャッチ・ミー

フィル・スペクターがプロデュースした4曲のうちの1曲で、オリジナルはチャック・ベリーが1956年に発表した曲です。ジョンがビートルズ時代に発表した『カム・トゥゲザー』は本曲に酷似しており、チャック・ベリーの楽曲の出版権者モリス・レヴィはジョンを著作権侵害で訴えます。モリス・レヴィは告訴しない条件として自身が出版権を持つ曲をカバーすることをジョンに要求したため、ジョンは本カバーアルバムの制作を行ないました。

A-5 エイント・ザット・ア・シェイム

オリジナルはファッツ・ドミノで1955年のヒット曲です。私が本アルバムで一番好きな曲で、ジョンは最高のパフォーマンスを見せています。ポールも好んで取り上げている曲で、アルバム『バック・イン・ザ・U.S.S.R.(原題:Choba B CCCP)』『ポール・マッカートニー・ライブ!!』に収録されています。

A-6 踊ろよベイビー

原題は『Do You Want To Dance』。ボビー・フリーマンが1958年にヒットさせた曲で、1965年にはビーチ・ボーイズによるカバーがヒットしスタンダードナンバーとして定着しました。ジョンはレゲエ風に仕上げています。

A-7 スウィート・リトル・シックスティーン

チャック・ベリーの代表曲の1つで1958年に発表した曲です。1963年にビーチ・ボーイズが『サーフィン・U.S.A.』のタイトルでリメイク(替え歌)して不動のナンバーとなりました。本アルバムでフィル・スペクターがプロデュースした4曲のうちの1曲です。ビートルズ時代にも取り上げており『ザ・ビートルズ・ライヴ!! アット・ザ・BBC』にラジオでのライヴ音源が収録されています。

スポンサーリンク

B-1 スリッピン・アンド・スライディン

オリジナルはリトル・リチャードで、ビートルズのカバーでも有名な『ロング・トール・サリー』のB面曲でした。ジョンのパフォーマンスは疾風のようです。

B-2 ペギー・スー

バディ・ホリー・アンド・ザ・クリケッツの1957年のヒット曲です。バディ・ホリーは22歳の若さで亡くなったロックンロール草創期のスターで、ビートルズに決定的な影響を与えたアーティストです。ポール・マッカートニーはバディ・ホリーの版権を所有しており、「3コード、バンド、立って楽器を弾くスタイル、ビートルズはクリケッツの真似から始まった」とビートルズの原点がバディ・ホリー・アンド・ザ・クリケッツであったことを明かしています。

B-3 メドレー:悲しき叫び/センド・ミー・サム・ラヴィン

『悲しき叫び』の原題は『Bring It On Home To Me』で、1962年にサム・クックが発表した曲です。1965年にはビートルズとも仲が良かったアニマルズがカバーしてヒットしています。続く『センド・ミー・サム・ラヴィン』もサム・クックが1963年にヒットさせた曲ですが、オリジナルはリトル・リチャードが1957年に発表したシングル『ルシール』のB面曲でした。

B-4 ボニー・モロニー

ラリー・ウィリアムズが1957年に発表した曲で、本アルバムでフィル・スペクターがプロデュースした4曲のうちの1曲です。ジョンはラリー・ウィリアムズが好きで、『スロー・ダウン』『ディジー・ミス・リジー』『バッド・ボーイ』とビートルズ時代に好んでカバーしていました。

B-5 ヤ・ヤ

オリジナルは1961年にリー・ドーシーが歌ってヒットしたロックンロールナンバーです。ジョンのアルバム『心の壁、愛の橋』では、当時10歳の息子ジュリアン・レノンが叩くマーチングドラムに合わせての本曲の即興演奏が収録されています。

B-6 ジャスト・ビコーズ

オリジナルは1957年のロイド・プライスで、本アルバムでフィル・スペクターがプロデュースした4曲のうちの1曲です。アルバム最後はいかにもフィル・スペクターっぽいエコーが掛かったゆったりとした曲で締めくくられます。

ジョン・レノン『ロックンロール』はおすすめアルバムです。聴いたことが無い方は、ぜひ聴いてみてください!

スポンサーリンク

ジョン・レノン『平和の祈りをこめて』ぶっつけ本番の初ライヴアルバム

1969年12月12日に発売されたジョン・レノン率いるプラスティック・オノ・バンドのライヴアルバム『平和の祈りをこめて』を紹介します。原題は『Live Peace in Toronto 1969』。日本でのリリースは1970年2月5日でした。

1969年9月13日にカナダのトロントで開かれた「ロックンロール・リバイバルショー」に出演したプラスティック・オノ・バンドのライヴアルバムです。プラスティック・オノ・バンドとしての初のステージで、このバンドはジョンとヨーコ以外は常にメンバーが入れ替わりますが、この日は以下の最強の布陣でした。

 ジョン・レノン(ヴォーカル、ギター)
 オノ・ヨーコ(ヴォーカル)
 エリック・クラプトン(ギター)
 クラウス・ブーアマン(ベース)
 アラン・ホワイト(ドラムス)

ジョンがこのコンサートへの出演を決めたのは、なんとコンサート前日でした。当時はまだセミプロだったアラン・ホワイトはジョンからの電話での誘いに半信半疑のまま空港へ向かいましたが、そこにはジョン本人とエリック・クラプトンが待っていたと振り返っています。とにかく出演までの時間が無かったため、リハーサルは飛行機の中で行なわれ、アラン・ホワイトはドラムスのスティックで座席の背もたれを叩いてのリハーサルでした。ジョン自身もステージで「おなじみの曲をやるよ。いっしょに演奏するのは初めてだから」とMCした、ぶっつけ本番のライヴでした。

スポンサーリンク

それではアルバムを紹介していきましょう。(オリジナルがレコード盤なので、A面・B面で紹介します。)

A-1 ブルー・スウェード・シューズ

1956年にカール・パーキンスが発表した曲で、同年にエルビス・プレスリーも歌っていました。メジャーデビュー前のビートルズでジョンのレパートリーとして演奏されていた曲ですが、ビートルズとしてスタジオレコーディングはされませんでした。ジョンらしい勢いのあるヴォーカルで歌っています。

A-2 マネー

バレット・ストロングが1959年にリリースした楽曲のカバーです。ビートルズ2枚目のオリジナルアルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』収録曲で、喉を振り絞り熱唱するドスのきいたジョンのヴォーカルは圧倒的であり、破壊的です。ヨーコはジョンの傍らで白い袋に入るパフォーマンスを行なっていました。

A-3 ディジー・ミス・リジー

ラリー・ウィリアムズが1958年にヒットさせたロックンロールをジョンは気持ちよくカバーしています。迫力のあるジョンのシャウティングは最高です。ビートルズ5枚目のオリジナルアルバム『ヘルプ!』(邦題『4人はアイドル』)に収録されていました。後半にヨーコのノイジーな金切り声が入っています。

A-4 ヤー・ブルース

ビートルズの2枚組アルバム『ザ・ビートルズ』(俗称『ホワイトアルバム』)に収録されていたジョンのオリジナル曲です。ミディアムテンポのヘビーなブルースで、ずっしりと重いギターが鳴り響く、ビートルズ後期に書かれたジョンのヘビーなロックンロールです。1968年12月11日にローリングストーンズが主導して撮影されたスタジオライヴ映像作品『ロックンロールサーカス』にジョンは出演し、そこでも本曲を演奏していますが、そのときのリードギターもエリック・クラプトンでした。

スポンサーリンク

A-5 冷たい七面鳥(コールド・ターキー)

プラスティック・オノ・バンド2枚目のシングル曲ですが、このライヴの時点では未発表曲でした。ジョンは「うまくできるといいけど」と言って歌い始めます。シングルのアレンジとは違い、ヨーコお得意のノイジーな叫びがフューチャーされています。

A-6 平和を我等に

原題は『Give Peace A Chance』。1969年7月に発売されたプラスティック・オノ・バンドのデビューシングルで、ラヴ&ピースを標榜したジョンの代表曲の1つです。本曲のジョンの歌い方はラップの走りと言われています。盟友ポール・マッカートニーが自身のコンサートで何度も取り上げたことがあるジョンの代名詞的な曲で、リンゴ・スターも最近の自身のコンサートでのラストの曲として毎回取り上げています。

B-1 京子ちゃん心配しないで(ドント・ウォリー・キョーコ)

B面はヨーコのステージになります。『冷たい七面鳥(コールド・ターキー)』のB面曲で、ヨーコと前夫との間の子供である京子に向けてヨーコが叫びます。

B-2 ジョン・ジョン(平和の願いを)

ヨーコがジョンの名を叫んで平和を訴えます。バンドはフィードバックやノイジーな音を出し続けます。最後はアンプにギターを立てかけてハウリングを起こしたままメンバーはステージを去りました。ビートルズファンは度肝を抜かれたアバンギャルドミュージックでした。

ジョン・レノン&オノ・ヨーコ/ザ・プラスティック・オノ・バンドの『平和の祈りをこめて(ライヴ・ピース・イン・トロント1969)』はおすすめアルバムです。聴いたことが無い方は、ぜひ聴いてみてください!

スポンサーリンク

『ポール・マッカートニー』ビートルズ解散の混乱の中で作ったファーストソロアルバム

1970年に発売されたポール・マッカートニー初のソロアルバム『ポール・マッカートニー』を紹介します。原題は、Paul McCartneyMcCartney』。

1969年9月30日、ビートルズの4人はレコード会社との契約書にサインするために顔を合わせました。その席上でジョン・レノンがビートルズ脱退の意思を突如、明らかにします。そしてビートルズは事実上、解散となりました。ビートルズ解散という事態に直面したポールは精神的に打ちのめされ、スコットランドの自宅農場に引きこもります。その後、妻リンダのおかげで回復したポールは本アルバムの制作に取り掛かりました。

アルバムを完成させたポールはその発売をめぐりマネージメント側と対立します。ビートルズのマネージメント担当であったアラン・クレインはアルバム『レット・イット・ビー』を優先させるため、ポールのアルバム発売を遅らせようとしました。しかしポールは1970年4月10日にビートルズ脱退を表明、本アルバムは4月17日にイギリスで、4月20日にアメリカで発売されました。(アルバム『レット・イット・ビー』はその後の1970年5月8日にイギリスで、5月18日にアメリカで発売されました。)

ソロアルバム発売と合わせてビートルズ脱退宣言を行なったポールについて、ジョンは「ポールはNo.1のPRマンだ」と痛烈に皮肉りました。実際、本アルバムはアメリカで3週連続1位を獲得する大ヒットとなります。この出来事を境にしてジョンとポールは数年間、険悪になります。

スポンサーリンク

本アルバムは全ての楽器をポール一人が演奏するワンマンレコーディングになっています。ポール以外に参加しているのは妻のリンダ・マッカートニーだけです。本アルバムは「粗さ」や「いい加減さ」が目立つアルバムですが、それはビートルズで『アビイロード』という完璧なアルバムを制作した直後の反動でしょう。

それでは、アルバムを紹介していきましょう。(オリジナルがレコード盤なので、A面・B面で紹介します。)

A-1 ラヴリー・リンダ

アコースティックギターに乗せてリンダへ向け愛を歌う小作品です。ポールがリンダとの結婚後、最初に作った曲です。ポールが「自宅で録音した最初の曲。リンダが居間から庭へ歩いていく音が聞こえるだろ」というように、機材のテストを兼ねてレコーディングされています。パーカッションの代わりに本を叩いています。

A-2 きっと何かが待っている

原題は『That Would Be Something』。ロカビリータッチの曲調で、ポールのけだるいヴォーカルはエルヴィス・プレスリーを想起させます。

A-3 バレンタイン・デイ

短いインストルメンタル曲です。エレキギターとアコースティックギターだけで構成されており、中途半端な出来の曲です。機材のテストを兼ねて録音された曲と言われています。

A-4 エヴリナイト

翳りのあるアコースティックギターの小作品です。ライヴアルバム『公式海賊盤 Unplugged (The Official Bootleg)』『バック・イン・ザ・U.S.』にも収録されています。

A-5 燃ゆる太陽の如く

原題は『Hot As Sun』。ポールが10代の時に作った曲で、南国を思わせる陽気なインストルメンタル曲です。

A-6 グラシズ

わずか30秒足らずの即興演奏のお遊びです。CD化の際に前曲『燃ゆる太陽の如く』とメドレー扱いになり1曲に統合されました。

A-7 ジャンク

マイナー調のアコースティックバラードで、ポールらしいメロディーラインの名曲です。1968年に作られた曲で『ホワイトアルバム』のデモテイクで録音されており、その音源は『ザ・ビートルズ・アンソロジー3』に収録されています。ライヴアルバム『公式海賊盤 Unplugged (The Official Bootleg)』にも収録されています。

A-8 男はとっても寂しいもの

原題は『Man We Was Lonely』。リンダがハーモニーで加わっており、ポールは「僕らの初めてのデュエットナンバー」と発言しています。ビートルズ解散の真っただ中にいたポールの偽らざる心境を歌っているとして大きな話題になった曲です。

スポンサーリンク

B-1 ウー・ユー

単調なギターのリフに乗って展開されるブルージーな曲です。最初のレコーディングではインストルメンタル曲でしたが、後で歌をつけています。

B-2 ママ・ミス・アメリカ

ポール得意の、別々の2曲をくっつけてメドレー仕立ての1曲にしたインストルメンタル作品です。ピアノ、ドラムス、ギターのまとまりのある演奏になっています。

B-3 テディ・ボーイ

元々はビートルズの楽曲として作れらたフォーク調の曲です。ゲットバックセッションで演奏されており、その音源は『ザ・ビートルズ・アンソロジー3』に収録されています。テッドという少年の物語にポール自身が重なります。

B-4 シンガロング・ジャンク

A面の『ジャンク』のインストルメンタル編です。哀愁漂う美しいメロディーをアコースティックギターとピアノが奏でます。

B-5 恋することのもどかしさ

原題は『Maybe I’m Amazed』。リンダへ捧げられた、ポールの名曲中の名曲で、私の大大大好きな曲です。ポールは「アルバムで一番成功した曲。シングルカットすべきだった」と発言しています。その後、1976年リリースのライヴアルバム『ウイングス U.S.A.ライヴ(Wings Over America)』に収録され、このときのアレンジと演奏が素晴らしく、ウイングス15枚目のシングルとしてシングルカットされました。このときの邦題は『ハートのささやき』で、1つの楽曲に2つの邦題が与えられた曲です。

B-6 クリーン・アクロア

ブラジルのインディオに捧げられたインストルメンタル曲です。パーカッションをメインとする実験的な曲で、リンダが呼吸音を担当しています。

『ポール・マッカートニー』を聴いたことが無い方は、ぜひ聴いてみてください!

スポンサーリンク

リンゴ・スター『リンゴズ・ロートグラビア』ビートルズ3人とクラプトンが協力!

1976年に発売された元ビートルズ、リンゴ・スターのソロアルバム『リンゴズ・ロートグラビア』を紹介します。原題は、Ringo StarrRingo’s Rotogravure』。

元ビートルズのジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスンの3人が楽曲を提供したアルバムで、リンゴとしては相当に気合いの入ったアルバムでした。更にエリック・クラプトンも楽曲を提供、ギター演奏もしており大変豪華なアルバムです。
残念ながら大ヒットとはなりませんでしたが、ビートルズ3人+エリック・クラプトンが楽曲提供しているところだけでもビートルズファンにはチェックしてもらいたいアルバムです。

スポンサーリンク

それでは、アルバムを紹介していきましょう。(オリジナルがレコード盤なので、A面・B面で紹介します。)

A-1 ロックは恋の特効薬

原題は『A Dose Of Rock’n Roll』。アルバムはリンゴのシャウトから始まります。当時人気絶頂だったピーター・フランプトンがギターを弾いており、リンゴの意気込みが伝わってきます。カール・グロスマンが作ったスローなロックンロールナンバーで、シングルでも発売されました。作者のカール・グロスマンはリンゴが設立したレーベルのアーティストでした。本曲はリンゴのお気に入りの曲で、ベストアルバム『フォトグラフ:ザ・ヴェリー・ベスト・オブ・リンゴ・スター』にも収録されています。

A-2 ヘイ・ベイビー

1962年にブルース・チャンネルの歌で全米1位に輝いたソウルナンバーのカバーです。本アルバムからの第2弾シングルでもありました。こちらもベストアルバム『フォトグラフ:ザ・ヴェリー・ベスト・オブ・リンゴ・スター』に収録されています。

A-3 ピュア・ゴールド

ポール・マッカートニーがリンゴにプレゼントした曲です。ゆったりとした曲で、バックコーラスでポールとリンダが参加しています。

A-4 クライン

リンゴとヴィ二・ポンシアの共作曲で、リンゴが好きなカントリー調の曲です。シングル『ロックは恋の特効薬』のB面曲でもありました。

A-5 ユー・ドント・ノウ・ミー・アット・オール

やさしいメロディーで、聴いていて気持ちの良い、私の大好きな曲です。作者はデイヴ・ジョーダンです。

B-1 クッキン

ジョン・レノンがリンゴにプレゼントした曲です。ノリのよい曲で、ジョンはピアノを弾いています。これは1980年にジョンが復帰するまでの最後となる公式レコーディングでした。本曲をジョン自身が歌う音源が存在しているので、YouTubeや海賊盤を探してみてください。

B-2 アイ・スティル・ラヴ・ユー

ジョージ・ハリスンがリンゴにプレゼントした曲です。ドラマチックなアレンジの曲で、本曲についてジョージはエリック・クラプトンと結ばれた元妻のパティへの気持ちを歌に託したとしています。尚、ジョージは演奏には参加していません。

B-3 これが歌ってものさ

そのエリック・クラプトンがリンゴにプレゼントした曲です。原題は『This Be Called A Song』。明るく爽やかな印象の曲です。クラプトンはギターも弾いており、説得力のあるサウンドになっています。

B-4 ラス・ブリサス

リンゴが恋人のナンシー・アンドリュースと共作した曲です。明るいレゲエナンバーで、リンゴはマラカスをプレイしています。

B-5 レディ・ゲイ

最後の曲はクリフォード・T・ワードのヒット曲『ゲイ』をもとに、リンゴとヴィ二・ポンシアが作った曲です。リンゴらしい明るいヴォーカルでアルバムが締めくくられます。シングル『ヘイ・ベイビー』のB面曲でもありました。

そして、アルバム最後に『スプーキー・ウィアードネス』と題された「おまけ」が収録されています。

『リンゴズ・ロートグラビア』はおすすめアルバムです。現在は入手困難ですが、輸入レコード店などで探せると思います。聴いたことが無い方は、ぜひ聴いてみてください!

ジョン・レノン『イマジン』自宅スタジオで制作したイギリス最後のアルバム

1971年に発売されたジョン・レノンのアルバム『イマジン』を紹介します。原題は、John LennonImagine』。

ジョン・レノン、オノ・ヨーコ夫妻はイギリスのアスコットに大邸宅を購入し、その自宅にレコーディング・スタジオを作ります。ジョンは「このスタジオこそ、僕の今までの人生の中で、ずっとずっと一番欲しかったものなんだ」と話しました。ジョンはこの自宅スタジオを「アスコット・サウンド・スタジオ」と呼びました。
本アルバムはこの自宅スタジオにジョージ・ハリスンやクラウス・ブーアマンなどの気心の知れたミュージシャンを集め、9日間という短期間で制作したアルバムです。このレコーディング時のスタジオ風景は1988年公開の映画『イマジン』で見ることができます。

ところがジョンは、せっかく作ったレコーディング・スタジオも大邸宅も捨て、1971年9月3日、ヨーコとアメリカに渡ります。以降、ジョンはイギリスに戻ることはありませんでした。本アルバムはジョンがイギリスでレコーディングした最後のアルバムです。

それではアルバムを紹介していきましょう。(オリジナルがレコード盤なので、A面・B面で紹介します。)

A-1 イマジン

アルバムタイトル曲であり、言わずと知れたジョン・レノンの代表曲です。世界各国でチャート1位を獲得した大ヒット曲で、非常に美しいメロディーの曲です。ジョンは曲が出来上がったとき「やっと(ポールの)イエスタデイみたいないい曲ができた」と喜んだそうです。「天国や国や財産なんて無いと思ってごらん」とシンプルな言葉ながら説得力のあるジョンのメッセージは全世界に大きな影響を与えました。ライヴアルバム『ライヴ・イン・ニューヨーク・シティ』にも収録されています。

「Imagine(想像しなさい)」と呼びかけで始まる歌詞について、ジョンはヨーコの詩集『グレープフルーツ』から拝借したと語っていました。発表当時は作詞者にヨーコの名はありませんでしたが、2017年6月に本作はヨーコとの共作と認定されています。

A-2 クリップルド・インサイド

懐かしさを感じる軽快なテンポの曲です。ジョージ・ハリスンのドブロ・ギターがいい味を出しています。歌詞は人間のエゴを皮肉ったもので、当時不仲だったポール・マッカートニーへの批判とする解釈もあります。

A-3 ジェラス・ガイ

ジョン・レノンが作った名曲中の名曲です。本当に美しいメロディーで、ジョンのバラード曲特有の頼りなさ、ぎこちなさ、せつなさが最高です。哀愁漂うジョンの口笛も曲想にマッチしています。自分の嫉妬深さ、カッコ悪さを包み隠さず歌ってるジョンは本当に素敵です。

本曲はビートルズ時代に『チャイルド・オブ・ネイチャー』というタイトルでレコーディングされていました。ホワイトアルバムやゲットバックセッションで演奏されましたが、最終的にビートルズとしてのレコード化はされませんでした。ジョンは歌詞とタイトルを変えて本アルバムに収録しました。

A-4 イッツ・ソー・ハード

とにかくしんどいこっちゃという歌です(笑)。サックスの音色が印象的な、ワイルドなブギーナンバーです。ライヴアルバム『ライヴ・イン・ニューヨーク・シティ』にも収録されています。

A-5 兵隊にはなりたくない

原題は『I Don’t Want to Be A Soldier』。直接的に反戦を歌ったヘビーな曲で、前曲同様にサックスの音色が印象的な、迫力のある曲です。単純な構造の曲ですが、強い力で曲の中に引き込まれてしまいます。このジョン特有の強引さはビートルズのアルバム『アビイロード』で同じくA面最後の曲であった『アイ・ウォント・ユー』を想起させます。

B-1 真実が欲しい

原題は『Give Me Some Truth』。ジョージ・ハリスンのギターがとても気持ち良く鳴り響く、私の大好きな曲です。切羽詰まったようなスピード感のある曲で、聴いていて本当に気持ちが良くなる曲です。ジョンは本曲に関連して「いつしか僕の周りには流暢な嘘ばかりつく人間が増えていた。僕がビートルズのジョンだからかい?」と発言しています。
タイトルは最近は『Gimme Some Truth』と略語で表記されることが多くなりました。

B-2 オー・マイ・ラヴ

前作『ジョンの魂』の『ラヴ(愛)』の続編ともいうべき、透明感のある美しいバラード曲です。歌詞はヨーコが手伝っており、ジョンとヨーコの共作曲としてクレジットされています。「あなたと初めて出会ったときから僕の目は見えるようになった。世界中のすべてのものが生まれ変わったように見える」という歌詞はヨーコと出会ったジョンの本心でしょう。

B-3 ハウ・ドゥ・ユー・スリープ(眠れるかい?)

当時不仲だったポール・マッカートニーを痛烈に批判した曲で、演奏にはジョージ・ハリスンも参加しています。イントロはサージェントペパーズ風のサウンドエフェクトで「『サージェントペパーズ』はお前にとって驚きだったろうよ」と始まります。「お前の傑作なんざ『イエスタデイ』だけだ。それも消えちまった今となっては『アナザー・デイ』ってわけよ」と止まりません。タイトルの『ハウ・ドゥ・ユー・スリープ(眠れるかい?)』はビートルズ内で使われていたポールをネタにしたジョークで、ポールの目が大き過ぎるので夜ベッドに入っても目がつぶれないというものです。イギリスのテレビ番組に出演した際、ポールは番組MCから「寝るときも目を閉じないって本当なの?」と質問されています(笑)。
ジョンはポールのアルバム『ラム』のジャケット写真を真似した、羊をブタに変えたパロディーのポストカードをアルバムに同封する徹底した攻撃ぶりでした。

B-4 ハウ?

私が大好きな、ゆったりとしたバラードです。控えめに歌い上げるジョンのレコーディングの姿を映画『イマジン』で見ることができます。共同プロデューサーであるフィル・スペクターのセンスを感じる曲です。

B-5 オー・ヨーコ

タイトルが示すとおり、愛するヨーコに捧げたラヴソングです。妻への愛を名前を挙げてここまでストレートに歌ったのはジョンが最初でしょう。それは照れくさいところもあったでしょうが、男として本当にカッコイイことだと思います。軽快な曲で、ビートルズ以来のジョンのハーモニカでアルバムが締めくくられます。

ジョン・レノン『イマジン』はおすすめアルバムです。聴いたことが無い方は、ぜひ聴いてみてください!

ジョン・レノン『心の壁、愛の橋』ヨーコと別居中に制作した傑作アルバム

1974年に発売されたジョン・レノンのアルバム『心の壁、愛の橋』を紹介します。原題は『Walls and Bridges』。当時、ローリングストーン誌で「レノンの最高傑作」と評価されたアルバムです。

「失われた週末(The Lost Weekend)」と呼ばれる、オノ・ヨーコとの別居中に制作されたアルバムです。ヨーコは1998年の『ジョン・レノン・アンソロジー』のブックレットで当時を次のように振り返っています。

「1972年、ジョンと私はパーティーに招待されました。ジョンは完全に酔っぱらってしまい、一人の女性を隣の部屋に連れ込んで愛の行為を始めました。ようやくジョンが部屋から出てきたとき、私はかつてないほど青ざめた顔をしていたといいます。『あの表情は忘れられなかった』とジョンは長いこと、そう言っていました」

「あの夜、私の中で何かが失われました。ジョンといっしょに暮らすのは、たいへん骨の折れることでした。私は壊されたぼろぼろの人形のような気持ちでした」

「私はジョンに、試しに別居してみたらうまくいくのではないかと言いました。『ロサンジェルスに行ってみるというのはどうかしら? 昔、ビートルズのツアーで行って、楽しかったって話してたじゃない』と私は具体的な方法を提案しました。『わかった。でも僕は君と別れたくないよ』とジョンは言いました。『このままいっしょにいたら、私たちはお互いを失うことになるわ』と私は言いました」

ジョンは久々の独身生活を味わい、思い切り羽目を外します。

「最初の4日間、ジョンは驚くほど有頂天になっていました。電話をしてきて、しきりに『ありがとう』と言いました。『ヨーコ、君はすごいよ。素晴らしい! 感謝!』その言葉に皮肉は感じられませんでした。ジョンがうれしそうで良かったと思いました。ところが4日目を過ぎると、ジョンは全く違う声で電話をしてきました。『もう十分だ。家に帰りたいよ』 私は笑い飛ばしました」

ジョンは本当に子供のようですね(笑)。

それではヨーコ不在で作られたアルバムを紹介していきましょう。(オリジナルがレコード盤なので、A面・B面で紹介します。)

A-1 愛を生きぬこう

原題は『Going Down on Love』。原題は愛にひざまずくの意味で、ヨーコに送った必死のサインです。ブラスセクションを入れたミディアムテンポの曲で、変化に富んだメロディーの曲です。1981年に東芝EMIがジョンの追悼シングルとして発売した『ジェラス・ガイ』のB面曲でもありました。

A-2 真夜中を突っ走れ

原題は『Whatever Gets You Thru the Night』。ジョンがエルトン・ジョンとデュエットした気持ちのよいロックンロールで、サックスの音色が抜群にイカしています。本アルバムからの最初のシングル曲で、アメリカで1位を獲得しています。

この曲を録音したとき、エルトンはジョンと賭けをしました。本曲が1位になったら一緒にコンサートに出ることをエルトンはジョンに約束させたのです。本曲は1位を獲得し、ジョンは1974年11月28日にマジソンスクエアガーデンで行なわれたエルトンのコンサートに参加、本曲を熱唱しました。そして、楽屋で1年ぶりにヨーコに再会し、元のさやにおさまります。

A-3 枯れた道

原題は『Old Dirt Road』。ジョンとハリー・ニルソンの共作曲です。ドリーミーなミディアムナンバーで、私の大好きな曲です。荒れ果てた独身生活を送っていたジョンは毎晩飲んだくれていました。悲惨な状況にあった心境を「古びた埃っぽい道(Old Dirt Road)」とジョンは表しています。

A-4 ホワット・ユー・ガット

ジョンの楽曲の中では極めて珍しいファンキーな曲です。アレンジはスティービー・ワンダー風です。サビの「自分の持っているものに気が付かないのさ、それを失うまでは」という歌詞は別居中のヨーコ、あるいはビートルズの盟友ポール・マッカートニーを想起させます。シングル『夢の夢』のB面曲でもありました。

A-5 果てしなき愛(ブレッス・ユー)

原題は『Bless You』。ジョンが「幸あれ」と世界中の人々に向けて愛を歌った曲です。とても甘美なメロディーで、ジョンの歌声は艶っぽいです。

A-6 心のしとねは何処

原題は『Scared』。狼の遠吠えで始まり、ジョンが「こわい、こわいよ、こわいんだ」と繰り返し歌う、重厚なブルース調の曲です。ロサンゼルスの独身生活で自分を見失いつつあるジョンが「恐れ」「悩み」を訴えており、「僕は疲れた。独りぼっちでいるのはもうたくさん」とヨーコのいない寂しさを赤裸々に吐露しています。

B-1 夢の夢

原題は『#9 Dream』。本アルバムから2枚目のシングル曲です。ストリングスが使われた美しいメロディーの曲で、まさに夢心地といったイメージの浮遊感のある曲です。原題にある9はジョンのラッキーナンバーで、ビートルズ時代にも『レボリューション9』『ワン・アフター・909』といった曲がありました。

B-2 予期せぬ驚き

原題は『Surprise, Surprise(Sweet Bird of Paradox)』。暗い印象の曲が多い本アルバムの中で、ひときわ明るい印象の曲です。ジョンの身の回りの世話をさせるためにヨーコが同行させた中国人女性秘書メイ・パンのことを歌っているといわれている曲です。

B-3 鋼のように、ガラスの如く

原題は『Steel and Glass』。契約をめぐってトラブル関係にあった元マネージャのアレン・クレインを痛烈に皮肉った曲です。「君のお母さんは君が小さいときにいなくなった」とジョン自身のトラウマである歌詞にドキッとします。冷たい印象の曲で、途中からストリングスが加わります。アルバム『イマジン』でポール・マッカートニーを攻撃した曲である『ハウ・ドゥ・ユー・スリープ?』に似た印象の曲です。

B-4 ビーフ・ジャーキー

ジョンには珍しいインストルメンタル曲です。ファンキーなメロディーで、不思議なグルーヴ感を醸し出しています。シングル『真夜中を突っ走れ』のB面曲でもありました。

B-5 愛の不毛

原題は『Nobody Loves You(When You’re Down and Out)』。原題は「打ちひしがれている時は、誰も愛してくれない」の意味で、ヨーコと別居中の寂しさが伝わっています。オーケストラによる重厚でドラマチックなアレンジの曲で、淡々としたジョンのヴォーカルには風格を感じます。ジョン自身が「フランク・シナトラの楽曲を意識した」と語っているとおり、重厚なスタンダードナンバーのような曲に仕上がっています。

B-6 ヤ・ヤ

アルバムの最後はお遊びのおまけで、当時10歳の息子ジュリアン・レノンが叩くマーチングドラムに合わせての即興演奏です。オリジナルは1961年にリー・ドーシーが歌ってヒットしたロックンロールナンバーです。ジョンはアルバム『ロックン・ロール』で本曲のちゃんとしたカバーを聴かせています。

ジョン・レノン『心の壁、愛の橋』はおすすめアルバムです。聴いたことが無い方は、ぜひ聴いてみてください!

ポール・マッカートニー『マッカートニーII』自宅録音のテクノポップアルバム

1980年5月に発表されたポール・マッカートニーのアルバム『マッカートニーII』を紹介します。原題は『McCartney II』。ジャケット写真は妻のリンダ・マッカートニーが撮影したものです。

1980年1月16日、ウイングス来日公演で成田空港に降り立ったポールは大麻取締法違反(不法所持)で現行犯逮捕されました。世界に衝撃を与えたこの事件、ポールは10日後に勾留を解かれ国外退去処分となります。日本のファンが待ち望んでいたウイングス来日公演は中止となり、ファンは悲嘆に暮れました。

事件の余韻が残る5月に発売された本アルバムは、それまでのウイングスとは全く違うサウンドのアルバムでした。バンドでの録音ではなく、ポールの自宅スタジオでポール1人で多重録音して作ったアルバムです。ポールはマルチプレイヤーであり、ビートルズの楽曲にもポール1人で録音した楽曲があります。元々はポールは自宅録音の楽曲を発表する意思は無く、作った楽曲も50曲以上ありましたが、レコード会社の要請でベストテイクをアルバムとしてリリースしました。サウンド的には当時流行のテクノポップが多く、大ブームであったイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)の影響が見てとれます。

タイトルの『マッカートニーII』は、1970年のビートルズ解散期に発表されたソロ1作目『マッカートニー』に対応するものです。ソロ2作目がリンダとの共作名義、3作目以降はウイングス名義であったため、ビートルズ解散から10年の区切りとなった完全なソロ名義作品2作目となります。

本アルバム発表後の1980年12月8日にジョン・レノンが射殺されるというショッキングな出来事があり、ポールは一時的に音楽活動を停止します。1981年4月にウイングスは解散し、本アルバムは結果としてポールのソロアーティストとして始動した1枚となりました。

それでは、アルバムを紹介していきましょう。(オリジナルがレコード盤なので、A面・B面で紹介します。)

A-1 カミング・アップ

ポールはまさかのテクノポップのサウンドを発表し世界中を驚かせました。アルバムに先行してシングル発売され、アメリカで1位を獲得しています。
プロモーションビデオではポールがロック界のスターに扮して1人10役をこなしています。バディ・ホリー、アンディ・マッケイ、フランク・ザッパなどに混じり、ビートルズ時代のポール自身をも演じていました(笑)。ポールはこの架空のスーパーグループをジョン・レノンのプラスティック・オノ・バンドをもじって「プラスティック・マックス」と命名しています。
本曲はウイングスのステージでも演奏されていました。ソロコンサートでも取り上げられることがあり、2002年の東京ドーム公演で歌われています。ライブアルバムでは1990年発売の『ポール・マッカートニー・ライブ!!』、2002年発売の『バック・イン・ザ・U.S.』に収録されています。

ウイングス来日の際、ポールはイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)がレコーディングしているスタジオを訪れる予定でした。大麻不法所持により実現されませんでしたが、YMOの楽曲『ナイス・エイジ』では本曲と同じ「Coming Up Like A Flower」というフレーズが流れます。『ナイス・エイジ』の中でニュース速報として読み上げられる「22番」はポールの拘置所内での番号でした。

A-2 テンポラリー・セクレタリー

これもまさにテクノポップサウンドの曲です。平坦な曲調に乗せて、ポールのヴォーカルはクールです。枚数限定でイギリスでのみシングル発売されました。ポールのコンサートで開演前に会場に流されるDJセットのフィナーレに組み込まれており、その影響でポールはコンサートで本曲を取り上げるようになりました。2017年の東京ドーム公演で歌われています。

A-3 オン・ザ・ウェイ

スローテンポの曲で、ポールの弾くブルースギターが印象的な曲です。たっぷりとエコー処理されたヴォーカルが耳に残る異色作です。

A-4 ウォーターフォールズ

ウォーターフォールズは「滝」の意味ですが、ロンドンから100kmほど離れたケントにあるポールの家の愛称です。本アルバムからのセカンドシングルで、元々はウイングス用に書かれた曲でした。ポールらしい美しいメロディーのバラードで、私の大好きな曲です。本曲のミュージックビデオには歌詞に出てくるホッキョクグマ(polar bear)が登場しました。

A-5 ノーボディ・ノウズ

ノリのいいロックンロールナンバーです。1970年代後半から1980年代前半にかけて流行したニューウェーヴの影響を感じる曲です。

B-1 フロント・パーラー

テクノポップのYMO風のインストルメンタル曲です。シンセサイザーとリズムマシーンのみでレコーディングされています。

B-2 サマーズ・デイ・ソング

幻想的な美しいメロディーの曲で、とても重厚感のあるスローな曲です。メロトロンでフルートの音を出しており、これはビートルズ『ストロベリー・フィールズ・フォーエバー』で使った音でした。

B-3 フローズン・ジャパニーズ

ポールが作った「和風テクノ」のインストルメンタル曲で、YMOからのストレートな影響を感じる曲です。タイトルは「無情な日本人」で、大麻不法所持逮捕と関連付けられて話題となりました。原題は『Frozen Jap』で、日本人への差別語として使われる「Jap」が使われていることから、日本版のみ『Frozen Japanese』に記載変更されました。ポール本人は日本人への侮辱の意図を否定しており、「イギリスではそこまで悪い意味ではない」「簡潔なタイトルにしたかっただけ」とコメントしています。

B-4 ボギー・ミュージック

テクノポップ風のロカビリーナンバーで、ポールによるエルヴィス・プレスリーのパロディーです。

B-5 ダークルーム

軽快なリズムナンバーで、アドリブ的に作られた曲です。ポールは他の楽曲では見せたことのない変わったヴォーカルを披露しています。

B-6 ワン・オブ・ディーズ・デイズ

アコースティックギターの弾き語りでポールが歌う優しいメロディーの曲です。ポールのワンマンレコーディングであった本アルバムですが、本曲では妻のリンダがバックコーラスをつけています。

ポール・マッカートニー『マッカートニーII』を聴いたことが無い方は、ぜひ聴いてみてください!

ポール・マッカートニー&ウイングスのファーストアルバム『ワイルド・ライフ』

1971年12月に発売されたポール・マッカートニー&ウイングスのファーストアルバム『ワイルド・ライフ』を紹介します。原題は、WingsWild Life』。

ウイングスはメンバーチェンジが激しいグループでしたが、結成当時のメンバーはポール・マッカートニー、リンダ・マッカートニー、デニー・レイン、デニー・シーウェルの4人でした。
また、発売当時のアーティスト名は単に「ウイングス」でした。ウイングスだけでは知名度が低いため、レコード会社からの要請で、のちに「ポール・マッカートニー&ウイングス」となります。

2週間という短期間でレコーディングされた本アルバムは粗削りな演奏でマスコミから酷評されたアルバムでした。当時は不仲であった盟友ジョン・レノンだけが「いいね。悪くないよ。あいつはいい方向に進んでいる」とポジティブなコメントをしています。

それでは、アルバムを紹介していきましょう。(オリジナルがレコード盤なので、A面・B面で紹介します。)

A-1 マンボ

ポールには珍しいジャム風の作品です。荒々しいエレキギターやオルガンの音に耳を奪われます。タイトルのマンボは音楽のジャンルのマンボ(Mambo)ではなく、Mumbo jumbo(何を言っているのか分からない言葉)の『Mumbo』です。実際、ポールのヴォーカルは何と歌っているのか聞き取れません。

A-2 ビップ・ボップ

タイトルはポールの娘メアリーが口に出した意味の無い言葉からとったもので、歌詞に特別な意味はありません。単純なギターのリフを基調とする曲で、テープスピードの操作とエコー処理によってポールの歌声は別人のようです。

A-3 ラヴ・イズ・ストレンジ

オリジナル作品ではなく、1956年にミッキーとシルビアが放ったミリオンセラー曲のカバーです。1965年にエヴァリー・ブラザースがリバイバルヒットさせており、ウイングスはこちらを元にしてレコーディングしています。ウイングスが他人の曲を取り上げるのは大変珍しいです。レゲエの軽快なリズムに乗せて、ポールは伸びやかに歌っています。ウイングスのコーラスワークも聴きどころです。

A-4 ワイルド・ライフ

アルバムタイトル曲で、動物愛護をテーマにしたメッセージソングです。ドラマチックなソウルバラードで、ポールは感情をたっぷりと注ぎ込んで歌っています。リンダとデニー・レインによるコーラスも美しいです。


 
B-1 サム・ピープル・ネヴァー・ノウ

ポールとリンダがデュエットしている美しいメロディーの曲です。ジョン・レノンのアルバム『イマジン』に収められていた『ハウ・ドゥ・ユー・スリープ?』でジョンから攻撃されたポールのアンサーソングです。

B-2 アイ・アム・ユア・シンガー

これもポールとリンダのデュエット曲で、リンダのソロパートもある、優しく美しいラヴバラードです。ポールとリンダのアツアツぶりが伝わってくる甘い歌で、リコーダーの音色がとても印象的です。

本曲と次曲の間にA面の『ビップ・バップ』をアコースティックギターで弾いたインストルメンタルの小作品がつなぎとして収録されています。CDでは『ビップ・ボップ・リンク』と名付けられて1曲の扱いになっています。

B-3 トゥモロウ

ビートルズ時代の名曲『イエスタデイ(昨日)』を意識して作られた『トゥモロウ(明日)』で、途中までのコード進行は『イエスタデイ』と同じでキーが変わっているだけです。ポールのエモーショナルなヴォーカルが印象的です。

B-4 ディア・フレンド

ポールのピアノの弾き語りで始まる物悲しいバラードで、途中からオーケストラも加わります。「ディア・フレンド」と歌われているその友達はジョン・レノンで、「もうこれ以上は本当に駄目?」とビートルズ解散におけるジョンへの感慨をポールは切々と歌っています。

そして最後に粗削りなインストルメンタルの小作品が入っています。非常に中途半端な演奏でアルバムが終わります。この曲もCDでは1曲として扱われるようになり『マンボ・リンク』と名付けられています。

ウイングス『ワイルド・ライフ』を聴いたことが無い方は、ぜひ聴いてみてください!

ポール・マッカートニー『ラム』リンダとの共作アルバムでジョン・レノンを批判

1971年5月に発売されたポール&リンダ・マッカートニー名義のアルバム『ラム』を紹介します。原題は、Paul & Linda McCartneyRam』。

ポールにとってビートルズ解散後2作目となるアルバムです。ポールは2012年のラム【スーパー・デラックス・エディション】発売に際して次のようにコメントしています。
「これは世界が今とは異なっていた、昔、昔のアルバムです。このアルバムは僕の歴史の一部で、それが生まれたスコットランドの小さな丘にまでさかのぼります。そのアルバムの名は『ラム』です。それは僕がヒッピーとして過ごした日々、そしてその制作における自由な姿勢を思い起こさせます。みなさんに気に入ってもらえるよう祈っています、僕は気に入っていますから!」

ポール&リンダ・マッカートニー名義で発表された唯一のアルバムです。写真家であったリンダは最初は音楽的には素人でした。素人である妻のリンダを音楽活動に引き込んだポールは一部のファンから非難を受けます。しかし、本アルバムでのリンダのコーラスはとても素晴らしいです。そして、そのリンダの声は後のウイングスのサウンドに欠かせないものになります。

また、楽曲的にはこの時期、不仲であったジョン・レノンを批判した曲が多いのも本アルバムの特徴となっています。
それでは、アルバムを紹介していきましょう。(オリジナルがレコード盤なので、A面・B面で紹介します。)

A-1 トゥ・メニー・ピープル

ビートルズ解散前後に不仲であったジョン・レノンを批判した曲でアルバムは始まります。「君はチャンスを掴んでいたのに、それを自分でぶち壊してしまったね。それが君の間違いの始まりさ」という歌詞はジョンを皮肉ったものとして話題になりました。少し調子が外れたようにも聴こえるポールの歌声で始まる元気の良い曲で、リンダのバックコーラスも元気が良いです。アメリカで発売されたシングル『アンクル・アルバート~ハルセイ提督』のB面曲でもありました。

A-2 3本足

原題は『3 Legs』。これもジョン・レノンを批判した曲です。ポールは「君は親友だと思っていた。それなのに君は僕を裏切ってガッカリさせた」と歌っています。カントリーブルース調の曲で、出だしはちょっと奇妙な感じです。リンダがコーラスで頑張っています。

A-3 ラム・オン

ポールがウクレレに乗せて歌うアルバムタイトルソングです。穏やかな曲調ですが、「ぶち壊せ、お前のハートなんかすぐに誰かにくれちまえ」という歌詞はジョン・レノンへの当てつけとされています。
ポールはアルバムにトータル性を持たせるため、タイトル曲を前半と後半の2回登場させる手法を好んでおり、本曲はB面にも登場します。その手法が取られたアルバムとしてビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』が有名ですが、ウイングスの『バンド・オン・ザ・ラン』『ヴィーナス・アンド・マース』でもその手法が用いられています。

A-4 ディア・ボーイ

美しいメロディーの曲で、ポールの弾くピアノが印象的です。そして、多重コーラスのハーモニーが素晴らしい曲です。しかし、歌詞のほうは「君は一体何を見つけたのか自分でわかっているの?」「たいへんな女と関わりをもったものだね」と、オノ・ヨーコと行動を共にするジョン・レノンへ向けた痛烈な批判として騒然となりました。

A-5 アンクル・アルバート~ハルセイ提督

原題は『Uncle Albert/Admiral Halsey』。ポールが得意とする別々の2曲をくっつけて1曲にした作品です。ドリーミーな導入部から次第に盛り上がり、躍動的な後半へ移行する傑作メドレーで、私が大好きな曲です。アメリカでシングルカットされ、ソロとして初の全米1位を獲得しています。

A-6 スマイル・アウェイ

ポールのカウントで始まるハードなロックンロールナンバーです。ポールのヴォーカルはソウルフルで、重量感あふれるナンバーです。当時は何かとマスコミから非難されたポールですが、「Smile away(笑い飛ばせ)」と自分に言い聞かせるように歌っています。日本のみのシングル『出ておいでよ、お嬢さん』のB面曲でもありました。

B-1 故郷のこころ

原題は『Heart of the Country』。ポールらしい、のどかなメロディーラインの曲です。自身の田舎暮らしを歌った曲で、自然への回帰を促しています。イギリスのみのシングル『バック・シート』のB面曲でもありました。

B-2 モンクベリー・ムーン・デライト

ポールの絶叫が耳に響く、ハードなロックチューンの曲です。意味不明の支離滅裂な歌詞で「モンクベリー・ムーン・デライトを吸っていたんだ」は麻薬を連想させます。ポールの不良の側面が出た曲ですが、コーラスにはリンダの他に長女のヘザーが参加しています。

B-3 出ておいでよ、お嬢さん

原題は『Eat at Home』。ポールらしいキャッチ―なメロディーの軽快なポップスで、ポールのヴォーカルはエルヴィス・プレスリー風です。日本では『アナザー・デイ』に続くソロシングル第2作目として発売されヒットしました。

B-4 ロング・ヘアード・レディ

ポールがリンダに捧げた曲で、リンダに対する熱烈な愛情表現が綴られた曲です。リンダはポールと出会った頃からロングヘアーでした。ポールの歌い出しの後、すぐにリンダのソロパートとなり、他の曲とは異なってリンダが重要なヴォーカルパートを担っています。

B-5 ラム・オン

A面にあった同曲のリプライズです。ここでもポールは「ぶち壊せ、お前のハートなんかすぐに誰かにくれちまえ」とジョン・レノンへの当てつけを歌います。そして、メロディーが変わって続けて歌われるのは、のちのウイングスのアルバム『レッド・ローズ・スピードウェイ』のオープニング曲となる『ビッグ・バーン・ベッド』です。『ビッグ・バーン・ベッド』のメロディーに乗せてポールが歌う「あの曲がり角から来るのは誰だい?」はオノ・ヨーコを意味するものと解釈されています。

B-6 バック・シート

原題は『The Back Seat of My Car』。アルバムはスケールの大きな美しいバラード曲で締めくくられますが、歌詞はカーセックスを連想させる際どいものです。イギリスでのみシングルカットされています。

ポール&リンダ・マッカートニー『ラム』はおすすめアルバムです。聴いたことが無い方は、ぜひ聴いてみてください!

ポール・マッカートニー&ウイングス『ロンドン・タウン』ほんわかするアルバム

1978年3月31日に発売されたポール・マッカートニー&ウイングスのアルバム『ロンドン・タウン』を紹介します。原題は『London Town』。

全米ツアーを行なったウイングス黄金期のメンバー5人でレコーディングを開始しましたが、ジミー・マッカロク(ギター)とジョー・イングリッシュ(ドラムス)がアルバム完成前に脱退したため、ジャケット写真はポール・マッカートニー、リンダ・マッカートニー、デニー・レインの不動の3人だけになっています。

3人になったウイングスですが、リンダは産休に入った時期でした。事実上、ポールとデニー・レインの二人で完成させたアルバムで、ウイングスのアルバムの中で二人の共作が最も多いアルバムです。楽曲は、ほんわかしたイメージのソフトな作品が多いです。聴いていてハッピーな気持ちになる楽曲が多いアルバムです。

それでは、アルバムを紹介していきましょう。(オリジナルがレコード盤なので、A面・B面で紹介します。)

A-1 たそがれのロンドン・タウン

原題は『London Town』。アルバムタイトル曲で、ポールとデニーの共作です。叙情的なバラード曲で、ウイングスの美しいコーラスが素晴らしいです。本アルバムから3枚目のシングルカット曲でもありました。

A-2 セーヌのカフェ・テラス

原題は『Cafe on the Left Bank』。1曲目のロンドンから2曲目はパリへ舞台を移します。ロック調のポールの快作で、脱退したジミー・マッカロクのギターの音色が印象的です。

A-3 アイム・キャリング

ポールのセンチメンタルなバラード曲です。シングル『たそがれのロンドン・タウン』のB面曲でもありました。ジョージ・ハリスンが本アルバムで好きな曲として挙げています。

A-4 なつかしの昔よ/カフ・リンクをはずして

原題は『Backwards Traveller/Cuff Link』。二つの曲からなるメドレーで、『なつかしの昔よ』はハーモニー主体の曲で、ポールは荒々しい声で歌っています。続く『カフ・リンクをはずして』は不思議なムードのインストルメンタル曲です。シングル『しあわせの予感』のB面曲でもありました。尚、レコードではメドレーで1曲でしたが、CD化に際して2曲に分割されています。

A-5 チルドレン・チルドレン

ポールとデニーの共作で、ヴォーカルはデニーです。デニーの歌声は繊細で、優しくハッピーな気持ちになれる曲です。フォークソング調の作風を得意とするデニーの個性が遺憾なく発揮された作品です。

A-6 ガールフレンド

ポールがファルセットボイスで歌う、優しい曲です。元々は1974年にポールがジャクソン5のために作った曲で、そのときはリリースされませんでしたが、その後、マイケル・ジャクソンが1979年にリリースしたアルバム『オフ・ザ・ウォール』に収録されました。本アルバムでのポールはマイケルに負けず劣らずの高音ファルセットボイスです。

A-7 別れの時

原題は『I’ve Had Enough』。まさにウイングスとも言うべきロックンロールをポールはエネルギッシュに歌い上げています。本アルバムから2枚目のシングルカット曲でもあります。

B-1 しあわせの予感

原題は『With a Little Luck』。透明感のあるサウンド、心温まるポールのヴォーカル、そしてデニーのコーラスとの掛け合い。私がウイングス最高傑作曲と位置付ける、大好きな曲です。本アルバムからのファーストシングルカット曲でもあり、アメリカで1位を獲得しています。

B-2 伝説のグルーピー

原題は『Famous Groupies』。陰りのあるサウンドの曲で、ポールはくだけた感じのヴォーカルです。ポールとデニーのコーラスワークが光っています。

B-3 子供に光を

原題は『Deliver Your Children』。ポールとデニーの共作で、メインヴォーカルはデニーです。デニーらしいブリティッシュフォーク調の作品です。シングル『別れの時』のB面曲でもありました。

B-4 ネーム・アンド・アドレス

エルヴィス・プレスリーを彷彿とさせるロカビリーナンバーです。はつらつとした魅力的な歌声でポールは歌っています。

B-5 ピンチをぶっ飛ばせ

原題は『Don’t Let It Bring You Down』。ポールとデニーの共作で、叙情的なフォークソング調の曲です。物悲しいメロディーに乗せて「そんなことで、くじけちゃダメだよ」と歌っています。

B-6 モース・ムースとグレイ・グース

原題は『Morse Moose and the Grey Goose』。エネルギッシュなリズムナンバーで、ポールの荒々しい歌声でアルバムはエンディングを迎えます。

ポール・マッカートニー&ウイングス『ロンドン・タウン』はおすすめアルバムです。聴いたことが無い方は、ぜひ聴いてみてください!